2024年1月、日本から飛行機で8時間ほどの国ラオスに行ってきました。『ラオスにいったい何があるというんですか?』という本もあるくらい、まだまだ日本人にとっては謎めいた国。そんなラオスに20年間恋焦がれて、やっと夢が実現した私の「ラオス・ルアンパバーン旅行記」をまとめました。
20年間、憧れ続けた「ルアンパバーン」
私のスマホのリマインダーアプリには「旅」というリストがある。いつか行ってみたいと思っている旅先を、忘れないようにメモっておくリストだ。
そこに20年間ずっとメモ書きされたまま、消されないでいる場所があった。そこが「ラオス・ルアンパバーン」だった。
実はラオスには、学生の時に一度行ったことがある。大学4年生の卒業旅行で、私は1ヶ月かけてバックパックで東南アジアを周る旅をした。カンボジアIN、シンガポールOUTの航空券だけを持って、それ以外のルートは行き当たりばったりの旅。その時に、ラオスにも2週間ほど滞在したのだ。
この時に訪れたのは、首都ヴィエンチャンだけだった。本当はルアンパバーンにも行くつもりだったのだが、ヴィエンチャンが思いのほか居心地がよくて、ついずるずるとい続けてしまったのだ。いわゆる「沈没」である。
結局、ルアンパバーンには行けないままマレーシアへと飛んでしまい、その後シンガポールに抜けて、私の卒業旅行は終了。しかし、ルアンパバーンに行っておけばよかったという後悔の念は消えず、いつか行ってみたいリストに君臨し続け、いつの間にか20年もの月日がたってしまっていた。
ついに夢を叶える時が来た
しかし、想い続けれていれば夢は叶うものだ。いや、夢を忘れさえしなければ、夢を叶える方向に自ら進んでいくのかもしれない。
ラオスに行く少し前、私は17年間勤めた会社を退職して、しばらく無職でいることに決めた。たくさん悩んだ末に決断した退職だったから、「せっかく会社を辞めるのならば、会社員じゃできないことをやってやる!」という野望で胸は膨らみ、そこで頭に浮かんできた「会社員じゃできないこと」のひとつが、ラオス・ルアンパバーンへのひとり旅だった。
とは言え、私は保育園生と小学生の子どもがいる母親なので、一応、家族の承認を得ずに勝手には行けない。(と思っている。)私の性格をよく知っている旦那は割とあっさり了承。一番手こずったのは保育園生の息子だったが、ゲームセンターで500円分ゲームを奢ってあげることを条件に陥落。無事にラオス行きは決定した。子どもの予定などを配慮しながら旅のスケジュールを組んで、晴れて最終出社日から約2週間後にラオス・ルアンパバーンへと旅立てることになったのだ。
ひとり旅は、実に10年ぶり。そして、行き先は、20年間行きたいと想い続けたルアンパバーン。クローゼットの奥にしまい込んでいたバックパックを取り出して、『地球の歩き方 ラオス』をひたすら読んで。そこからしばらくの間、旅のプラン表と持ち物リストを作るのが、私の至上の楽しみになったのである。